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平田院の沿革・概要

高濱山 平田院は、もと天徳山 法蔵寺と号し、江戸期以前三河徳川家家臣平岩家の菩提寺で真宗高田派に属していた。
慶長六(1601)年 徳川家康の家臣、平岩親吉の甲府移封にともない寺も同地に移ったが、慶長十二年親吉が、尾張徳川家初代義直公の付家老として尾張藩に移るのに従い、名古屋片端鍛冶屋町に移った。
その後、名古屋城築城にともない慶長十八年現東区平田町に移転した。
寛文三(1663)年 建中寺開山成譽廓呑上人の弟子大譽直道上人を中興開山に迎えて、浄土宗に改宗した。
平成二(1990)年 新天地布教開拓をめざして天白区鴻の巣に再度移転した。

平田院の寺名は、平岩主計頭親吉の戒名「平田院殿越翁休岳大居士」に由来する。
また、尾張徳川家より御黒印寺領五十石が与えられていた。

東区平田町の町名は、明治四年町名施行にともない、平田院が所在していたので平田町と名付けられた。

平田院沿革・概要